快適ひきこもりニート生活

適応障害で退職し傷病手当で生活を送る引きこもりニート(アラサー)。発達障害(ADHD、ASD)当事者で精神障害者手帳3級所持。万年体調不良。オタク気質でイラスト描いたりもします。

発達障害の私はなぜ不登校だったのか-不登校だった3年間-

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こんにちは、おめめ(@omepachi)です。

 

私は小学校3年間不登校でした。

今考えると、発達障害が原因で学校に行きたくなかったんじゃないかと思っています。

そして私の人生においてこの不登校はかなり大きな存在になっています。

不登校だった時期について、きちんと自分自身で整理したことがなかったので、この場で整理してしまおう!と思い書き綴ってみました。

 

ヘビーな話題ですがせっかくブログを書いているので、勝手にまとめていきます! 

長くなりそうなので、前半と後半で記事を分けてます。

 

 

不登校のきっかけ

ある日突然学校に行けなくなった私に、周りの大人は困惑しました。

 

「お友達にいじめられているの?」「何か嫌なことがあったの?」

 

私の場合「なんとなく行きたくなくなった」が理由だったので、余計に大人たちは困惑。

 

本当に自分でもなんで学校に行けなくなったのかわかりませんでした。今思うと、発達障害が原因で集団生活に馴染めなかったんだろうなと思います。

 

この時点で親が精神科に連れて行ってくれていれば…。発達障害だと診断されていれば、適切な支援を受けられたかもしれない。

(当時にどんな支援があったかは知らないけど…)

 

3年間の不登校生活

小学校1年生

1年生の担任がすごく厳しい先生だったのは大きな原因だったと思います。中年の、見た目からしていかにも厳しそうな女性の先生。

今では騒がれるであろう体罰も、20年前なので普通に行われていました。

幼稚園がすごく自由な幼稚園だったので、このギャップにもショックを受けたんだと思います。ただただその先生を怒らせたくない、と恐怖を抱いていました。

 

特に印象に残っているのは給食の時間

私は今でもそうですが、子供の頃はもっと偏食がひどかったんです。確か、野菜はほどんど食べられなかったような。

それに食べたことがないものは食べられませんでした。

 

幼稚園まではお弁当持参だったので、特に問題はありませんでした。

 

しかしこの1年生の担任は、給食は残すな!派の先生でした。

 

私は毎回完食することができず、昼休みもずっと居残りで食べさされていました

掃除の時間までに食べられなかったら、さすがに残させてくれましたが…。嫌いな食べ物を無理やり食べさされるのは本当に苦痛でした。

初めての小学校生活でこの給食の苦痛を味わったことは、不登校に大きな影響を与えたと思います。

 

1年生の割と早い段階から、学校に行けなくなっていきました。

 

小学校2〜4年生

不登校だったのは1、3、4年生の3年間

2年生の時は、1年生の時と違ってとても優しくて若い女の先生でした。その先生との相性が良く、2年生の時は学校に行きことができていました

3年生4年生の時は少し厳しめの先生に当たったこともあり、ほぼ2年間丸々不登校でした。仲の良かった友達が次々に転校したことも重なり不安定に。

2年生の時に学校に行けて喜んでいたであろう親や先生を、また悲しませることになったのが辛かったです。

親にとっても先生にとっても私は恥部なんだろうなとも子供ながら思っていました。

なんで他の子たちにできていることができないのか、自分は劣っているんだと思い込んでいきました。

 

一応学校に行こうとはした

毎回新学期になるたびに今学期は学校に通えるかもしれない!と思い切って初日は登校していました。

 

ですが「不登校のおめめちゃんが学校に来ている」というもの珍しい目で見られ、腫れ物に触るような扱いを受け、恥ずかしくなってすぐに学校へ行けなります。

 

アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の不登校の主人公のセリフで

「学校ってのはな、一度休みだすと面倒なことになるぞ。最初の一歩は気楽なんだ。一日ぐらい休んだってなんも変わんねぇ。だけどな、変わらねぇからもう一日もう一日って積み重なっていって気が付いたらもう自分はまんまって…こんなこと俺がエラそうに言えることじゃねぇ…」

 というのがありますが、まさにこれです

 

不登校を続けることによって、自分自身との闘いだけではなくなっていきます

私の小学校では他に不登校の生徒はいなかったはずなので、かなり有名人になっていました。

 

私が久々に登校することによって教室がザワつくのは耐えられなかった。

こうしてどんどん不登校の深みにはまっていきました。

家での様子

学校に行かず家にいた私は、毎日大好きな絵を描いていました

今も絵を描くのは大好きですが、当時は今より長い時間ずっと絵を描いていた気がします。

絵を描いていないときはテレビを見たりゲームをしたり

とにかく自分がしたいことをしたい時にしていました

 

私は不登校でしたが、「学校には本当は行かなくてはいけない」という思いが強かったです。親の「普通の子と同じように学校に行って欲しい」という思いも察していました。

頭では分かっているのに学校に行くことができず、かなりストレスは溜まっていたんだと思います。

週に1回程度の頻度で家中のものを引っ掻き回して暴れるようになりました。当時はなんでこんなに自分がイライラしているのかも分からず、ただ悲しくてイライラして物に当たり散らしていました。

今ではストレスの原因も理解できるし、発達障害からくる癇癪だったんだろうとも思いますが、当時は理解してくれる人は誰もいませんでした

モヤモヤした気持ちを親に説明することもできず、不登校の間、私は孤独でした。

 

不登校の私への親や学校の対応

ここまで私の不登校についてまとめてきました。

そんな不登校の私への親や学校の対応については次の記事にまとめています。よかったら引き続き読んでみて下さい。