快適ひきこもりニート生活

適応障害で退職し傷病手当で生活を送る引きこもりニート(アラサー)。発達障害(ADHD、ASD)当事者で精神障害者手帳3級所持。万年体調不良。オタク気質でイラスト描いたりもします。

発達障害の私はなぜ不登校だったのか-親や学校の対応-

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こんにちは、おめめ(@omepachi)です。

 

前回は不登校だった頃の私についてまとめました。

 

今回はそんな私への親や学校側の対応についてメインで書いていきたいと思います。

親や学校側に感謝していることもありますが、嫌だった思い出が強く残っています。 

3年間の不登校の後、普通に通学することができるようになるのですが、その頃の様子なども綴っていきます。

 

 

親や学校側の対応

親の対応

長く続く不登校に親はとても心配だったんだろうし、私の存在を持て余していたと言うことはよく分かります。

ですがその親の気持ちを軽くするために色んな苦痛を押し付けられました

親戚一同と母にお寺に連れて行かれ、謎のお祓いを受けさされたこともありましたw

お祓いを受けた後、お坊さんに白いお守りを渡され

これを持っていれば学校に行けるよ

と言われましたw

んなわけないだろって子供ながらに思いましたが…。

母たちの期待があったので、後日一応学校に行きましたがすぐに行けなくなりました!当たり前ですが。

 

泣いている母、みんなの安堵する顔、とにかく期待が重すぎました。この状況怖すぎ…。この件について一生母を許すことはありません

 

フリースクールとかいう施設

当時(1990年代後半)は不登校児が増え、問題視され始めた時期だったと思います。

 

家の近所にもフリースクールのような施設ができ、無理やり連れて行かれました

親の目的は、何かしらの社会集団の輪に私を入れることだったと思います。

 

私は学校には行っていませんでしたが、学校の友達は家に毎日と言っていいほど遊びに来てくれていました。ありがたい。

授業より一人で教材を使って勉強する方が好きだったので、勉強の遅れもありませんでした

なので全くフリースクールに行く必要性はなかったのですが、完全に親の自己満足です。

 

フリースクールの人たちはみんな学校に行けない人たちでしたが、小学生は私だけ。なので馴染むもクソもないんですが、何よりあの生ぬるい空間に嫌悪感を抱いていました。

学校に行かなくてもいい、という雰囲気が許せなかったんだと思います。

私は学校に行かなければならないという気持ちがずっとあったので。大人たちも本当は学校に行って欲しいに違いない、とわかっていました。

だから私にとって、フリースクールは根本的な原因を見て見ぬ振りをしている、意味のない生ぬるい空間にしか見えなかったです。正直気持ちが悪かった。

 

特にフリースクールの人たちと仲良くなることはありませんでした。

 

学校側の対応

多分学校側も不登校児への対応は不慣れだったんだと思います。

私は学校の給食は基本的に好きだったので(苦手なものは食べませんが)、そのことを知った先生の配慮?で毎日給食を家まで届けてくれていましたw

もうなんか不登校児というよりVIP扱い…w

ちょっと学校側、私のこと甘やかしすぎじゃない?

それほど不登校児の扱いがわからなかったんだと思いますが。

 

本当に先生も必死だったんだろうなーと思います。週一くらいで担任の先生が家まで面会にきていました。クラスの子から私への手紙を持参してw

 

もー勘弁して欲しかった…。

クラスでまとめて、ではなくて一人一人から封筒に入った手紙が届くんです。暇だったし一応全て目を通していましたが、内容はみんな同じ。

「早く元気になってね」「早く学校に来てね」

 

プレッシャー半端ねえw

 

逆効果ワード炸裂でしたが、小学生の文章力なんてこんなもんですよね。毎回毎回、不登校児への手紙なんてネタ切れするだろうしね。あと私は不登校期間、非常に元気だったよ。

 

 

そっとしておいて欲しかった

とにかく私はそっとしておいて欲しかったなのに周りが放っておかなかった

いま振り返ると最悪な環境におかれていました。

よくぞ耐えたなと当時の自分を褒めてあげたい。周りの大人からのプレッシャーが半端なかった

 

私は原因がいじめなどではなかったし、放っておいてくれればよかったんです。

放っておいてくれたら自分の中で自然と折り合いをつけて、登校を再開できてたんです、きっと。

 

最悪な環境でしたが3年間自宅で自分の殻に数年こもり、5年生からは自然と登校できるようになりました。

ずっと「学校に行かなくては」とは思っていたし、何よりみんなと同じ「普通の小学生になりたかった」ので自然と登校できるようになったんだと思います。

 

不登校だったというレッテル

数年間不登校だったので当たり前ですが、当分の間は「不登校だったやつ」というレッテルは貼られ続けました。自分でも貼ってたんだと思います。

私は自分でも不登校だったことが恥ずかしいと思っていたし、周りからも触れてはならない過去だと思われていたはず。

 

私の中で小学校生活は2年生で止まったままだったので、周りに馴染むには時間がかかりました

5年生になっても2年生の頃にしていた遊びを休み時間にしてしまったり。

周りからの冷たい視線を感じて徐々になくなっていきましたが、空白の2年間を埋めるには時間がかかりました

小学生の2年間って大きいですよね。ジェネレーションギャップに戸惑いました。

 

そんな中でも何人かの友達ができ、不登校だったというレッテルや負い目は時間とともに薄れていきました。

 

現在の私

不登校だった当時のことを知っている友達は「あんたの不登校って不思議だったよね」と言います。

なんで学校に来ないのかみんな分からなかったらしい。特に理由がないのになんで来なかったの?と不思議だったそうです。

 

今でこそ「集団行動が苦手だったからね」と説明できますが、当時の6歳の私には自分でも理解できていませんでした

発達障害だと当時診断されていれば、このモヤモヤとした気持ちも整理できていたかもしれません。

発達障害だと知らずに28歳まで生きてきたため、かなり遠回りをしながら自力で自分の特性と付き合ってきました。

 

最近は発達障害の子供への支援があるようなので、同じような苦しみを味わう子供が少しでも減ればいいなと思ってます。